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カストロ 3


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岡から カストロの町を臨みます







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日本人移民の子弟と現地で出生した日本人移民2世の増加を受けて、1930年代前半にはブラジル全土に200を超える日語学校が運営されていた。これらの日語学校は基本的には移民たちの寄付で運用されていた。

ブラジルの公立学校は半日制であったために(現在も半日制)、多くの日系ブラジル人の子供たちは半日を公立学校で、残りの半日を日語学校で学んだ。そのため、公立学校以外では日本語は日常語として使用された。






現在

最初の正式移民がブラジルに渡って100年を超えた現在は、日系ブラジル人6世も誕生した他、日系人以外のブラジル人と結婚するケースも増え(現在はそれが主流)、約140万人にのぼる日系ブラジル人は完全にブラジル社会に同化し、多民族国家であるブラジル社会に大きな存在感を示し続けている。この様な同化の流れを受けて日系コロニア(植民地域)は縮小したり、周辺地域と同化して消滅する傾向にある。さらに日系人の中心地であったリベルダージにおける日系人の空洞化も顕著になり、いくつかの商店は後に来た中国系や韓国系の新移民に買い取られた。さらにビデオやインターネットの普及を受けて観客の減った二テロイ劇場も閉館し、日本人街は東洋人街(Bairro Oriental)と名を変えた。しかしながら、残留した日本人、日系人は依然として強い影響を保っている上に、中国系や韓国系に買い取られた商店も日本風の店構えと品揃えを続けているものが多い。

















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こんばんは

ブラジルの鳥はやはりちょっと違いますね。
ヒヨコも心なしか大ぶりな気がします。

ところで、今回はブラジルについていろいろ勉強になりました。
実は、若いころ、工場の期間従業員として採用され来日した
ブラジル日系人と一緒に働いたことがあるのですが、
その頃のことを久しぶりに思い出しました。

文章をお読みすると、日本語も勉強していたようですが、
当時(二十数年前)来日した日系人は全く日本語を話せませんでした。
住んでいる地域によって違うのでしょうかね~

Re: こんばんは

今回お会いした一世の方たちは、私たち以上に日本人らしいというか、
色んなことわざも巧みに使いこなし、日本の出来事をよくご存知でした!!
NHKを受信されています。お相撲も大好きです!!
二世の方はほぼ意思が伝わります。
三世になると、ほとんど日本語を話せません。

移民100年が経っているので、(二十数年前)のその方は三世だったかもしれませんね。
一世と言っても100年前に移住された方もいらっしゃるでしょうし、
今回お会いした一世の方たちは、戦後から1973年移民船廃止の少し前ぐらいに行かれた方が多かったようです。

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